2019

こんな俺も素直だった時期がありまして、何年か前までは、大晦日にはテレビにかじりついて大まじめにカウントダウンなんかして、年が明けた瞬間には心の底から喜んでいた。今となってはいったい何がめでたいのかわからないし、そもそも何かが急に変わるわけでもない。だけど、どこかで区切りをつけることにいろんな効用があるようだということはわかってきた。

 

ネットで人の日記を読むのが好きだ。誰かのnoteかなんかを読んでいて、そういや自分にもブログがあったことを思い出した。毎日日記を書くってことは全然なくてしばらく放置してたけど、2019年をごく個人的に振り返ってみようかなと思う。本当は年内に投稿する予定だったけど間に合わなかった。

 

一応時系列順に並べたけど内容はそれぞれあんまり関係ありません。気が向いたら追記するかもしれません。

 

3月

うちの軽音部は、入部したその日に新入部員同士で話し合ってバンドを組まされ、基本的にはそのまま卒業まで続けるという方式だ。兼バンも非推奨ということで、特に動かない限りは一つのバンドだけで活動することになるんだけど、今年の3月にはそれとは別のバンドでライブをする機会があった。

一方は部活の学年混合で組んだ。経験者でドラムの上手い後輩と、歌だけじゃなくMCやステージングにもよく気が利くフロントマンの鑑のような先輩がいた。同学年のメンバーも別バンドだったから新鮮だったし楽しかった。

もう一方は中学の友人とその知り合いで組んだ。俺と同級生の意見が通って、ミッシェルとかナンバガがコピーできた(まさかこの時はナンバーガールが再結成するとは夢にも思わなんだ……)。かなり自分の好きな曲がやれたし、スタジオの中での雰囲気もいい感じだったので、このメンバーでオリジナル作ったりしてみたいなーと思ったりしてるんだけど、まだその友人にしか話してないからどうなるかわからない。

 

高3になった

ギリギリだったけどなんとか進級できて、高校3年生になった。クラスが持ち上がりなのがつらい。

とうとう年が明けるまで受験勉強なんてほとんどしなかった。誰がどう見ても絶望的な状況だけど、なんとかなるような気はしてる。楽天的すぎるのも考えものだけど、悲観するとすぐに投げ出すタイプなので、スタンスはこのままでも、とにかく行動に移していくしかない。

 

祖母の死と認知症

夏の初めに父方の祖母が亡くなった。地理的にも遠くて会う機会も少なく、特に最近はほとんどコンタクトがなかったので、祖母が死んだと言われても、正直どういう気持ちになればいいのかわからなかった。

父の実家は東北にあり、毎年夏休みには帰省していたのだが、親戚関係がちょっとめんどくさいらしく、数年前から、家族全員で田舎に行くということはなくなっていた。それが祖母の死で、去年の夏は数年ぶりの「帰省」となった。

実家に到着すると、ちょうど遺体を棺に入れる段取りをしているところだった。儀式の合間に、親戚が話をするのが聞こえてくる。

 

もともと、祖母に認知症の症状が出てきているらしいということはなんとなく聞いていた。症状は悪化する一方で、亡くなる前の数週間は毎晩のように夜中にヒステリーを起こしていたそうだ。最後の数週間について後に父は、ずっと周りに抑圧されて生きてきた彼女の最後の反抗だったのではないか、と言っていた。

そして祖父だ。祖父は、祖母が死んだというこの状況をどこまで理解しているのかわからなかった。悲しみに暮れているわけでもなければ、呆然としているというわけでもない、なんともいえない表情で祖母の遺体を眺めていた。

祖父の認知症の発症は祖母より遅かったが、その進行は祖母を追い越す勢いだったのだそうだ。父は、「おふくろが死んだのもショックだけど、親父がボケたことの方がショックかもしれない」と言っていた。

祖父は今施設に入っている。無理に親戚が面倒を見ることでストレスになったり、いさかいが生まれるなら、僕もそれがいいと思う。

 

僕は、一刻も早く死にたいとまでは思わないがあまり長生きもしたくないなと思っている。もっと言えば、ボケたら殺してほしい。

ただ、実際に祖父と喋っていると、もともとなまりがきついから半分くらいは聞き取れないが、耳をすませば何を喋っているのかはわかるのだ。ごくごく当たり前のことだが、ふつうに生きている人間なのだということを実感した。

高齢化は絶対に避けられないし、認知症という問題もこれから僕自身にとってももっと身近になっていくんだろう。でも、すごく難しい。難しいということくらいしか僕にはわからなかった。

 

NUMBER GIRL

ライジングでの復活が発表された当初は、中学の友人(3月にバンドを組んだ奴と同じ)と、北海道、行っちゃうか?なんて話していた。その後ツアーが発表されたから、東京でワンマンやってくれるならそれに行ければそりゃ一番いいよねってことで2人で申し込んだら、僕は外したが、そいつが当ててくれた。

最初は素朴に喜んでいたが、Twitterでチケットを外した人の嘆きを見ているうちに、なんだか罪悪感のようなものが湧いてきた。僕がナンバーガールが好きだというのは、僕が言うんだからいいとしよう。しかし、ナンバーガールが観れなくて悔しがっているのは、どう考えても僕らよりずっとあのバンドに対して思い入れが深くて、僕らよりずっとあのバンドをよく聴いている人たちだった。

そして日比谷公演の前日、ライジングが中止になった。もう申し訳なくてたまらなかった。台風という不可抗力によるものだから、誰もがやり場のない気持ちを持て余しているようだった。

僕は、罪悪感や申し訳なさなんかで自分が観るナンバーガールのライブを曇らせてしまっては一番もったいない、と思うようにした。

 

ライブレポみたいなものを書こうとしたけどうまく出来なさそうだからやめた。とりあえず、あの貴重な体験を忘れないようにしたいということだけ書いておきたい。

 

文化祭

最初に組んだバンドもめちゃくちゃ楽しかった。不安だったけど後夜祭もなんとかなってよかった。

 

学校をちょっとサボった

アマプラ最高。映画たくさん観たい。

 

音楽の聴き方がわからない

年末になるとTLにいろんな人の年間ベストアルバムとかが流れてきてぼんやり眺めてた。正直、そもそもあんまり新しい音楽を聴いてないし、イヤホンで流しててもBGM的に聞き流してしまうことも多いので、Twitterで名前を見たことはあっても聴いたことはない、みたいなのがほとんどだったんだけど、やっぱり読んでて興味は湧いた。最新の音楽をチェックし続けて、それを評価してまとめられるってほんとにすごいことだと思う。

今の時代、サブスクに登録してさえいれば、二、三千円出して一枚一枚買わなくても、新譜を発売日に聴くことは容易い。だけどなんだかな、心の準備が出来ないというか、貴重なファーストコンタクトを無駄にしてはいけないという気持ちもあるのか、新しいアルバムを再生するのを渋ってしまう。あるいは、再生してもいまいち集中できなかったりして、途中で聴くのをやめてしまう。

これは新譜に限ったことじゃなくて、単に自分が聴いたことないアルバムでもそうだ。Apple Musicが、今年俺がよく再生した曲のプレイリストを作ってくれたんだけど、その中にRideのSeagullが入っていた。そんなに印象に残っていたわけでもなかったのでどうしてだろうと思ったんだけど、この曲、『Nowhere』の一曲目で、何度もこのアルバムを聴こうとして途中でやめたからだった。

音楽聴いてるのは好きなはずだけど、いかんせん聴き方が下手なもんだから作品のほんのわずかな部分しか楽しめてないという感が強い。未だに使い慣れてないけど、プレイリストとかを活用してもいいね。来年はもっと広く深く聴いていけるようになりたい。

 

人と関わりたい

ひとことタグに軽い気持ちで便乗してみたらとても楽しかった。ネット上でもコミュ障が激しく、自分から人に絡みに行くことについ二の足を踏んでしまうのだけど、タグに頼ることでFFに不器用ながらメッセージを送ることができた。

そもそも自分によほどの魅力でもない限り、一定の積極性がなければコミュニケーションは始まらない。僕は人がこわくて、人と絡むのに消極的になって、コミュニケーションができないからますます人がこわくなるという悪循環に陥っていた。スパイラルから抜け出すには、ちょっとした思い切りで行動を起こすのが一番手っ取り早いのかもしれない。

 

2019年の抱負は行動です