気力とネット依存症

中学生まではまともに授業を受けていた。授業中に眠気なんて感じたことがなくて、眠い眠いと言う人を不思議に思っていた。むしろ授業が終わった瞬間に突っ伏してた。今は授業が眠くて仕方ない。

これはなかなかすごいと思うんだけど、ある時期までの俺には少なからず集中力があった。とりわけ好きなものに対しての集中力は強くて、ほっとけばいつまでもゲームやってたし、取り憑かれたように星新一を読んでたりもした。

たぶん、好きなものに没頭することで、集中の体力みたいなものを養っていたんだと思う。授業や課題に対しても、意識がそれることは多々あれど、区切りのいいところまでやりきることはできた。

同じ頃まで、頭の中では常に何かしらの思考が渦巻いていた。通学路で音楽を脳内再生するのは、おいしいとこどりが出来て楽しかった。興に乗って面白くなってくることもあったし、そんなに悪くは思っていなかった。バッドな方向に行くと加速してしまうことはあったけどね。

中三の「受験生」と言われる立場になってから、何をしている時も抑圧感を感じるようになった。「こんなことしてる場合か?」みたいな具合のことを常に聞かれてるような気持ちで、目の前のものにまったく没入できない。その感じは、だんだん生活全体を覆っていった。

ネットサーフィンは、そういう俺にとって格好の現実逃避の手段だった。ネットサーフィンはいい。頭の中で情報が飽和して、何かを感じる余地がなくなる。それで、もともと依存していたのに、ますます依存した。ていうか、今も自習室にいるんだけどまったく勉強をせずにずっとスマホをいじっているあたり、現在進行形で悪化してる。週明けからテストなのに。

「インターネットは現代の阿片」みたいな言説があった。全然文脈は違うけど、言葉だけを切り取るとまさにその通りだと思う。

もっとも、ネットサーフィンが気持ちいいのかというとそうではない。これも問題だ。依存対象に触れている間、気持ちよかったり楽しかったりする分にはまだいい。それをやっている間はいい気分になれて、そこから得られるエネルギーもあるだろう。ネットサーフィンの悪いのは、それをやっている間も、意識を散漫にさせるばかりで気分をむしろ鬱屈とさえさせるところだ。でも、ネットを見てると落ち着く。本当に依存症だ。

家に帰ってから寝るまでの時間をほぼ全てネットサーフィンに費やすことで、好きなことをやる時間は減っていった。何かに対して没頭することがなくなったので、集中力は落ちに落ち、課題もだんだん出さなくなった。

愉快だった頭の中は靄で満ちて何も見えなくなってしまった。思考にならない思考がメモリを食い散らして、何も考えられなくなった。何も考えず、何も感じない、ただボーッとしてるような時間がどんどん多くなった。

高校に入る頃にはすっかり無気力になってしまった。集中以前にそもそも何かをするエネルギーがなくなって動けなくなってしまっていた。

今思えばあの頃は若干抑うつ気味だったのかもしれない。なかなかひどい無気力具合だった。集中力こそないけど、エネルギーは取り戻してきてるし、頭の中の靄も少しは晴れた。これからもしネット依存がマシになって、「好きなもの」に没頭できるようになったら、またあの集中力が蘇るだろうか。